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西田敏行の若い頃の画像は?もみあげがトレードマーク!?

俳優の西田敏行さんが2024年10月17日に亡くなりました。

まだ76歳ということなので早すぎという声がたくさん聞こえてきます。

そんな西田敏行さんは俳優としても歌手としても、そしてMCとしても大人気でした。

西田敏行さんの若い頃はどんな感じだったのかが気になりましたので調査してみたいと思います。

 

西田敏行

若い頃からもみあげがトレードマークの西田敏行

画像引用:NHK

西田敏行さんは1947年〈昭和22年〉11月4日生まれ。76歳で亡くなりました。

最後の作品となってしまった「ドクターX」

「一昨日話したばかりなのに・・」と話したという映画で一緒だった米倉涼子さん。

突然の訃報に、まだ実感がわかないという人が多いのかもしれません。

 

 

西田敏行の若い頃の画像はある?

若い頃はもみあげがトレードマークだった西田敏行

画像引用:X

数々の人気作品に出演していた西田敏行さん。

若い頃の画像があるのかが気になります!

 

1967年「渥美清の泣いてたまるか」デビュー

1967年(昭和42年)に『渥美清の泣いてたまるか』(TBS)でテレビ俳優としてデビューしています。

20歳ぐらいでしょうか?ものすごく若いですね~

よくものまねをしていたダチョウ倶楽部の上島竜兵さんに似ています。

西田敏行のモノマネをしていた上島竜兵

画像引用:サンスポ

 

1978年「西遊記」

西田敏行が出ていた西遊記

画像引用:X

 

1978年(昭和53年)『西遊記』三蔵法師一行の「猪八戒」を演じました。

夏目雅子さん、堺正章さん、岸部四郎さんとの掛け合いが面白かったようで、有名です。

 

1980年「池中玄太80キロ」

池中玄太80キロに出ていた西田敏行

画像引用:X

1980年(昭和55年)には『池中玄太80キロ』で主演を務めています。

主題歌にもなった『もしもピアノが弾けたなら』が大ヒットし、歌手としても活躍していたようです。

もしもピアノが弾けたならの西田敏行

画像引用:シンラドットネット

 

1980年「サンキュー先生」

かなりの人気俳優だったのでしょう。

立て続けにドラマで主演をつとめています。

それにしてももみあげがすごいです・・・。もじゃもじゃだし、ものすごい量だし・・・笑

この頃はもみあげが流行っていたのでしょうか?

役柄に合わせてこのようにしていたのでしょうか??

それにしても西田敏行さんの若い頃というとイメージは「もじゃもじゃもみあげ」と言えそうです。

 

 

1982年「おんな太閤記」

おんな太閤記に出ていた西田敏行

画像引用:NHK

1981年(昭和56年)にはNHK大河ドラマ「おんな太閤記」に出演しています。

時代劇でかつらをかぶっているからかもみあげはないようです。

 

1988年「釣りバカ日誌」

釣りバカ日誌に出ていた西田敏行

画像引用:U-NEXT

1988年(昭和63年)から映画「釣りバカ日誌」シリーズに出演し、最終の第20作まで役22年にも及びました。

西田敏行さんの代表作と言えるでしょう。

 

2001年「探偵ナイトスクープ」

2001年(平成13年)、「探偵!ナイトスクープ」の2代目局長として19年にも渡りレギュラー出演しました。

西田敏行さんといえば、涙をふくハンカチです。

楽しい内容の調査でも涙してしまう西田局長に癒された人は多いのではないでしょうか。

 

 

まとめ

今回は西田敏行さんがお亡くなりになったことを受け、若い頃はどんなふうだったのか気になり調査してみました。

デビュー作の頃はまだ20歳ぐらいでしたが、ものまねをされていた上島竜兵さんとそっくりだったことが改めてびっくりしました。

若い頃の西田敏行さんはもみあげがものすごい時が多く、それもものすごく硬そうで量が多いことがわかり、これがトレードマークだったのではないか?と感じました。

年を重ねてもたまに役柄によってはもみあげとひげがくっついている時もありましたがそれもかわいいです。

どんな時もやさしく癒してくれる西田敏行さんは変わりないということがわかりました。

これからも作品の中で生き続ける西田敏行さん。

楽しいドラマで楽しませて頂き、かわいくやさしい笑顔で癒して頂き本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

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